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十七歳法

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2001/01/19 かふう

あらすじ

十七歳による殺人が多発したことに対する対策として、政府は十七歳法を作る。十七歳法とは、十七歳以外の年齢層に対する刑罰を重くする一方、十七歳には一度だけ殺人の権利を与える。殺人を経験させるというものだった。
十七歳法の施行された日本に生きる主人公アオバは、十七歳になった今年、その殺人権利を持て余してしまう。明確な殺意を持たない彼は、周囲からの「なぜ殺さないのか」という声にとまどう。

以下、感想


2001/01/19 かふう

小さな子供の頃に虫を殺したこともないから、命の価値もわからない。小さな子供の頃に、喧嘩をしたことがないから、手加減も傷の痛みも知らない。この十七歳法は、一読するとそんな言葉を単に殺人に当てはめただけのよう思える。
しかし他にも、二つのテーマがこめられていると感じた。この上のテーマはどうでもよいという書かれ方をしているからだ。物語舞台の設定としては、十七歳法が日本の全年齢合計としての殺人件数を減らしたと書かれてはいる。しかし、その設定に対する根拠をあげた説明がない。ハルミが多少説明しているが、ハルミの態度はその説を信じていないか、どうでもよいと見做しているように思える。

それでは二つのテーマとは。

一つは盲目的な善行の奨励に対する批判である。十七歳が殺人を犯すことが正しいとなると、世論はなにも考えずにこれを支持する。そんな世界が描かれているが、これは現代にも言える危険な状態だと訴えているのではないか? 善行 ( 或いはやるべきと思われる行為 ) ならば、強制的にやらせても構わないという発想が如何に危険か示していると思う。
例えば、ボランティア。ボランティアは果たして善行なのか疑問がある。しかしいつのまにか善行と見做されるようになり、やるべき行為となり、ついには強制させようという流れになった。単なる行為を、その意味を考えないままに、強制されるまでにしてしまう社会に対する現在の社会の危険性を訴えているように感じられる。
賛否両論ある問題だが、僕は臓器移植につながる脳死を現段階で認めるべきではないと思っている。その理由はここにある。単なる行為である臓器移植が、今の日本では、知らぬ間に善行と見做されるようになり、最終的に強制される恐さがあるのだ。僕はホームページで臓器移植に反対しているが、この小説からもそんな日本への批判が感じられた。 ( 臓器移植についての話は例えであり、竹岡葉月さんのとは無関係です )

もう一つのテーマは自殺についてである。最後の場面、アオバの振り上げた刃はどうなったのか、明らかにされていない。普通に考えればタキに向かうことが考えられるが、僕はどうしてもアオバ自身に向けられる可能性を否定できない。
殺人が許されることで、自らを殺せるようになる。自殺が、犯罪であることを暗に示しているのではないか。かなり強引な解釈ではあるが、僕にはそんな気がした。
「なぜ人を殺してはいけないのか? 」友人から、そんな質問を受けたことがある。これも最近流行している質問だが、これに対する僕の回答は、

「全ての人が同等の権利をもつとする。その上で一人に殺す権利を与えるならば、全員に殺す権利が与えられる。一人に殺されない権利を与えるならば、全員に殺されない権利が与えられる。両者を同時に成立させられない以上、後者を選ぶのが妥当*1であり、日本では後者が選ばれている。全員の殺されない権利を守るには、人を殺してはいけない」

である。しかし、これだけでは自殺や安楽死が許されない理由が説明できない ( 他殺ではないと証明できないという説明だけでは不充分と思う ) 。
勝手な期待だが、この小説では殺人が認められて自殺を選んだ。ならば、殺人が認められないならば自殺も認められないことの説明がいずれ、竹岡葉月さんの小説からあらわれるのではと思う。もちろんこの期待がむちゃくちゃであることは分かっている。ただ、僕は自殺も安楽死も感情的に認めたくない ( 緊急避難としての殺人は認める ) 。その思考の手助けとなりそうな気がして仕方がないのだ。

*1前者を選べば、社会は成り立たない。自由に殺人が行われれば、最悪一人しか生き残れないからだ。2000年末に話題になったバトルロワイヤルは、前者を選んだら社会が崩壊してしまうことを示し、反面的に殺人の否定をしていると、僕は解釈している。
もっとも映画化に伴い年齢制限がかけられたのは、殺人行為の残虐性に対してではなく、生徒が教師に反逆することが教育上よくないからなのだとか....

2000/11/21 かふう

日本の法律ではたとえ殺される者が同意していても、殺人は認められない。けれど、日本の法律では自殺は罪にならない。なぜだろう? 殺す者も殺される者も納得しているのに、なぜ他人は殺してはならず、自分は殺してもいいのだろう。

書きかけです。ちょっと待って....


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